2024年7月16日火曜日

『言解きの魔法使い』2巻 感想

いつかの記憶は前を向こうと後ろを振り返ろうと、どこであっても自分にしか見えない鎖となって、手や足や頸を緩やかに締め付けている。「紅茶のカップにインク瓶をぶち込む」選択をした人々は、誰に知られることもなく、昼間の雑踏に紛れる。彼らの行先は道なき道。それは決して成り行きの末の消極的な選択ではない。決定的な一歩を踏み出す決心をした者たちの、命の叫びだ。

どこかにいる、誰かだった自分は、今どうしてここに在るのか? 影が彼らをじっと見つめている。光に照らされる度に、これがお前の道なのだと語りかける。自分自身すら知ることのなかった真実のページが、開かれようとしている。

園椰は流れゆく水としての役割を与えられた。昔は、彼女なりに穏やかな生活をしていたのだろう。川のせせらぎを聴き、繰り返される日々のささやかな幸福を思ったこともあるのかもしれない。文字通り、誰でもない空っぽの存在になった彼女は、なすすべもなく溺れながら手を伸ばして、誰かが手を取るのを待っている。

溺れる、血の海に、日が沈む。もうじき訪れる永遠の夜から救い出した「あの人」、止まりかけた時計の針を再び進めた恩人、友との来るべき再会に向かう、最初の一秒。生者の世界からあぶり出されたことになってしまった人間の、密かな心の拠り所。矢萩はかつて自身に与えられたものを他者に与える。「帰ってこい」と言う。悪夢に苛まれながら、それでもただ在ることを認める。図書館に昼も夜もない。もはや夢は夜にのみ見るものではない。時は容赦なく過去に微睡んでいた影の目を覚ます。

言葉は何処ともなく記憶と心を攫う。雨の中を立ち尽くす。今まで傘を貸してくれた人間は、会話すらもままならなかったのではないか? しかし、ナツメは次第に大きくなる雨音に声を消される前に、たった一人に聞こえるように、「君には呼んでほしくない」と、ただのナツメであると、静かな叫びを上げていなかったか?
口を利くことを許されなかった子供、出口のない家の、物語でできた聖域。彼は偽者の自分に道を譲らなかった。文字が形作った姿とはいえ、偽者に刃を振るい、唯一の自分を証明した。そして、幻に阻まれた道の中、新たな一つの覚悟が彼を再び奮い立たせる、「矢萩が隣にいるなら、魔法であっても構わない」。

魔法使いに成った者は、自分が自分であることの、激烈な、怒りとも呼ぶべき生きる意志を持つ。倉科女史は腐りゆく愛し子を取り戻した。「耐えられなかった」と彼女は言う。心のどこかで、声高に、こんなものであってたまるものかと、やり遂げなければならないのだと、この先が暗闇の道だとしても、このまま生きる方が地獄なのだと。
では、ナツメは何を世界に突きつけようとしたのか? 思いも、願いも、漂う煙の雲となり、空をすっかり覆ってしまった。しかし、彼は見つめていたはずなのだ、どこまでも続く灰色の世界の遥か向こう、海のような青空、窓越しではない本当の夜明けを。


作業BGM:BIG|BRAVE "chanson pour mon ombre", "canon : in canon"