2024年6月29日土曜日

『奪界』1_三人の王

地獄の王の称号は、ただ一人にのみ与えられる。唯一の王冠は、その宿主を乗り換えるかのように、奪い、奪われ、当て処なき旅を行く。血に塗れた果てしない彷徨の向こう側に輝く王座はヴェールに覆われてたまま。なるべくして集う者たちは、僭称する者であれ、望まれた者であれ、理由と思惑と世界とを持つ。さぞ美しい光景だろう、かれ自身の内にしか存在し得ない、片時も忘れることのなかった理想郷に辿り着くことができたのならば。そして、地獄を我がものにせんと、この世界に三人の王たりうる者が名乗りを上げた。


最初の人類。人間の王。居場所を約束された者。アダムの自由とは、約束されたものが間違いなく自分のものであるということ。自分がはじまりであり、自分がいなければほとんど何も始まらなかったということ。自由である状態が彼の居場所である。戦うことは何かを得るためのものではなく、むしろ自らの力を示すために行われる儀式のような意味を持つ。約束された凱旋、君臨の合図。世界は自分のものでなければならない。世界の脅威は、何者であっても彼の領域に踏み入れてはならない。アダムの自由はアダムのためにのみ存在する。ゆえに彼は戦う、自らの良しとする自由のために、自己の愛のために。世界を失われると感じるや否や、玩具を取り上げられた子供のように不満を募らせる。地獄への度重なる侵攻の先に、伴侶の夢を見ているのだろうか?


対して地獄の王は、一人娘の道行を照らす灯りを点けるべく、赤黒く沈んだ世界を飛び回る、今まさに失ってはならないものを抱えた三人の王のうちのただ一人である。ルシファーは純粋ゆえに認められず、居場所を追われた。ひとつの星だけが圧倒的な輝きを放つことは、昔の仲間よりもむしろ、空が認めなかった。星は星々でなければならなかった。彼の自由は可能性、未知、光への意志。そして、一歩進むということ、あるいはそうなるはずだった過去の自分への、少しばかりの悔恨。「自分もかつてはそうだった」と言うときの、縋るような諦め。ルシファーはすでに堕とされた存在であるがゆえに、その地での生を守るものとなり、愛は専ら娘に注がれている。アダムが侵略するならば、ルシファーはその対称の性格を持つ。すなわち、戦いとは防戦の形をとる。守るべき存在を脅かすものは、誰であろうと彼の前に倒れる。迂闊に刃を向けた反逆者に対しては、王たる者の本領が発揮するだろう。それは圧倒的な力で劇場を支配し、観客を呆然とさせる圧巻の手品だ。しかし、実際にフィナーレを飾ったのは、舞台に飛び込んだ一人の少女だったが……。


目指すのならば、行かなければならない。自分を陥れたものへの怒りを胸に、自由を希求する。あまりにも遠く高い居場所を取り戻すこの願いが達成されない限り、アラスターはどこであろうと安住することはない。自ら立ちはだかり、自らを恐れる。恐ろしい看守でありながら怯える囚人。罰する者でありながら罰を受ける者。罪人であるがゆえに、死してなお鎖が頸を締め付ける。アラスターは課せられた鎖を断ち切るために戦う。そして、自分が鎖に繋がれていることも知らず、また知っていても身の回りの小事にかかずらううちにいつしか歩き方すらおぼつかなくなってしまった顔のない亡霊の群れに、憎しみの叫びを轟かせる。それは一人にのみ与えられる称号。アラスターもまた、自身の力を示すため戦いに身を投じているが、他の「王」たちとは異なり、きわめて個人的な動機による。かつて天界に住まう偉大な天使は、反逆の咎を負って地獄に追放された。しかし、彼は立ち上がり、数多くの仲間を勇気を奮い立たせるようになるまで鼓舞し、やがて天界への復讐のためにひとり飛び立った。純粋な闘志、怒りと戦いへの切実な意志。暗く低い場所から見える最も美しい彼だけの光は、見上げようともどこにもない。それは目を閉じた世界の裏側で燃え続ける消えない灯りだ。彼は荒れた大地をひとり歩く。幕引きは未だ遠い。