2024年6月23日日曜日

『言解きの魔法使い』1巻 感想

言葉に囚われ、言葉に救われる。言葉を失い、言葉を取り戻す。ときには明瞭に、また或るときには幻のように現れる怪物は、かつて人間だった青年が好んだ物語の数々。文字となった身体の一部は館を彷徨う記憶の亡霊。ナツメは言葉を「解く」。自分だったもの=言葉を殺し、燃やし、いつか全てが終わり再び人になるまで、戦い続ける。

元凶の魔女もまた館に囚われている。ほとんど子供的な純粋さをもって、まるで館が世界のすべてであるかのように振る舞うが、最後には倒されなければならない。名もなき彼女は、在りし日ののナツメが持たなかった心だろうか。子供らしくあること、許されること、ただ笑いたいままに笑い、泣き、怒ること。それは学生時代の回想の時点ですでに失われていた。

「君みたいなのをよく視るからね。」
「いっつも大勢の人間に囲まれて笑ってんのに、どこかずっと冷めた目をしてて、何考えてるかさっぱりですよ。」

生きている者と死んでいる者の区別はもはや無い。取り巻きすらも、話す死者と変わりは無い。その中で、いずれ死すべき有象無象のひとりだったはずの人間が、自分自身に向かって言い放った、「邪魔です」。
矢萩にとっては、単に邪魔だったから言っただけのことだったかもしれない。しかし、この瞬間にナツメの世界は動き出す。貿易会社の若社長として見られること、またそのように振る舞うこと、どこまでも「家」の人間であること、「家」という道理のもとで生きること。矢萩はたったの一言で、ひとりの人間の道理を変えた。

救われたはずの人間は、言葉と文字を操る魔法使いに成り果て、再び、文字=言葉=世界に囚われた。かつて自身の世界の道理をひとりの言葉で変えられた人間は、世界の道理を言葉によって捻じ曲げる存在となった。ナツメは館から出ることはできない。魔法使いでない限り、人が入ることもない。館は書物を納める領域であることの役割を越えて、彼の世界そのものとなった。この館に入ることは、彼の世界に足を踏み入れ、向き合うことを意味する。自分のために閉じられた世界は、他でもない自分によって終わらせるべきであり、だからこそ、たった一人の親友に別れを告げようとした。それでも矢萩は門の中に入った。友の行く末を見届ける覚悟はとうにあった。

これは過去の再演だ。一度世界から救われ、再び世界に囚われた者の、決別と解放の物語だ。言葉の牢獄から脱却し、もう一度、窓の向こうに輝く陽光のもとにゆく日まで、男は燃える炎の剣を振るうのだ。


作業BGM:Jakob “Blind Them With Silence”