漂泊する言葉、記憶の座礁。拾い集めた砂の万華鏡は、気の遠くなるほどの時を経てもなお陽光を受けて輝く。煙草の煙にぽつりぽつりと浮かぶ言葉は、空に昇り、雲に溶け、やがて雨が降る。空気と大地は過去によってもたらされた水に満たされ、生きるものを潤す。
生者は願い、祈り、過ち、悔悟によって生かされる。その集積が、大地を流れ、海に収束する。生きるべくただ一つを殺した者と、生かされた者。何度でも生きるために、あるいはもう一度生きるために、朽ちて骨となりゆくばかりの暗い海の底から、身体を得て、途方もない人の世へ。
大閲覧室の扉を経た先には、異界の墓場が広がっていた。扉は人の世と原初の力とを繋ぐ。誰も知らないことを知りたかったのか。最も美しいものを我がものとしたかったのか。そこには、無数の本によって形作られた巨大な生物の骨が横たわっているだけだ。この深淵へ直接出向くことはできない。ナツメはまだ、どうすることもできない。それでも矢萩は道を見つけ出そうとする。覚悟をもって生かされた人間は、暗闇の中でも光を失わない。
固い決心をした者を巧みに諭そうとしても、無意味なのだろう。なぜなら、その覚悟は「誓い」と呼べきものだからだ。波打ち際で、砂を掬う。その一粒一粒に、記憶がある。この世の全てを知ることなど、園椰の言う通り到底出来ることではない。自身にとっての「世界の全て」を守ると決めたのならば、最後までやり通さなければならない。
海鈴は想いを言葉にせずにはいられなかった。大切な宝物を見せるかのように、一度心に刻んだ記憶を忘れまいと、書き残す。
殺すための手が、ただ手を取るためだけの手となったとき、雨は止み、空は晴れた。彼女にとっての、たったひとつ。たったひとりの家族と、矢萩の存在。叶わぬ未来の幻想だとしても、並木道を共に歩くことを願った。遠い海へ飛び立つ海猫の、羿昇する最後の輝き。宵の明星が、夜へ向かう者を見送る。全てが解け、灰は風に攫われ、行く。
ナツメは簡単に救いを語らない。言葉は容赦なく人を暴く意志だ。それにも関わらず、思わず口から出たように、矢萩に対して「それでも、」と言った。言葉が救いであると同時に呪いでもあることを理解しているはずの彼が、ほとんど衝動的に言葉を口にした。
矢萩が恐れた「独」の闇を、一点を見据えて、真っ直ぐに突き進んだ。どれほど遠くであろうとも、灯台の光は届いているのだ。
はっきりと、「君の悪夢を終わらせよう」「行っておいで」、さらには「帰ってこい」と言った。たとえ人の死を悔やむことがないとしても、そうできないとしても。せめて、少しでも誠実になれるように。広漠とした砂浜の中で、唯一見つけることのできた世界の欠片を、二度と失わないように。
「気に病むことくらい――させてください」。矢萩はナツメに対して同じ言葉を何度も繰り返す。頑固だと言われようと、ナツメに語りかけ続けることを止めないだろう。彼もまた、世界の一欠片を拾ったが故に。
悔いることができる。魔法使いに成った者を、ただ真正面から見つめる。善人であるが、善人という人物像に囚われない。ただ、正直でありたいと欲する。「欲深い」のかもしれないが、人間の前に絶望的に立ちはだかるあの壁を、壊す手がかりを持っている。
決して消えることのない火、海を初めに照らす、夜明けの光。本当に、彼はやってのけるだろうか?
誰もが寝静まった夜に、見上げるといい。波が去り、浜辺に打ち上げられた、あまりにも小さな世界の欠片は、己が心の内の「かがり火」が燃え続ける限り、その火に呼応して輝く、己がための導となる。
作業BGM:The Surrealist “Lux”
【8/18 追記】
万感の陽光、彼方の墓碑、
風は時の背中を押す。
この手を取るまで、
私は私であり続けよう。
輝ける朝、
待ちわびた船出に、
変わらぬ微笑を、
せめてもの手土産に。
/
消えゆく灯、最後の一服、
星降る夜の煙滅。
いずこへも流れ、彷徨う、
すべて夢であるがために。
来たるべき夜明け、
暗雲を燬き尽くし、
失われた世界を取り戻す、
ただ一つの言葉を。